猫友さん
私には猫友さんがたくさんいます。
私が友達と思っているだけということも無きにしも非ずですが、私は友達だと思っていますので、そういうことにしておいてください。
リアルな友達数よりも猫友さんの方がよほど多いのです。実際に会ったことがある方もい少なからずいらっしゃいますが、ネット上でしか存じ上げない方が圧倒的にたくさん。ただ、SNS等で猫さんをお世話している話題、看病や介護でご苦労されて苦悩されている姿をみるとネットのこちら側で応援してしまいます。
私自身、次男猫の介護をしている時にどれほどたくさんの方に励まされたことか…今でもその時のことは忘れられません。当時のことを思い出して、猫友さんが少しでも元気づけられればいいなと思っています。
皆さん、頭が下がるほど愛猫に尽くしておられます。生まれ変わるなら猫友さん宅の猫さんに生まれ変わりたい…
友が増えると看取りも増える
猫友歴が長くなると、どうしても猫さんを看取った、見送ったというお話が増えてきます。
まことに残念です。
どんなに大切に育てていても、猫さんはにんげんの4倍以上の早さで歳をとります。10年経てば、にんげんが増えるのは10歳ですが、猫さんは40歳…猫さんは生まれて最初の1年で20歳相当なので、11歳になると20歳+10年×4歳で60歳。猫さんの生涯は早い…もっとゆっくり一緒に歳をとって欲しいものです。
猫友さんの闘病記、介護記を読んでいると、かつての自分を思い出します。
いつ終わるともしれない緊張を緩められないストレスのある時間、それでも止めるわけにはいかない、止めると終わってしまう恐ろしさ。
そして、看取った時の寂寥感と虚無感、無力感…それでいてどこかホッとした解放感と解放感を感じることへの罪悪感とが入り混じった何とも言えないやり場のない気持ち…
こういう時は、無理に元気にしたりすることなく、思いっきり泣いたり落ち込んだりして過ごすのがよろしいかと思っています。もちろん、時が経って少なくとも社会活動へは復帰するのが前提ですけれど。
嘆き悲しみすぎるのは旅立った猫さんも望んでいないと思います。「ゴメン」と謝るよりも、「ありがとう」と言ってあげてください。
訃報には「わたしのげぼく」を読む
私は絵本「わたしのげぼく」が大好きです。
まだ先代猫が健在だった時に読んで、初めて読んだ時はそれはもう滂沱の涙を流したのですが、自身が看取りを経験してからはまた違った読後感があります。厚みが増えたというか…そして姫ちゃんを迎えて読むと、これまた違った味わいがあるのです。
画像出典 : amazon 「わたしのげぼく」
絵本とは不思議な書物です。読み手のコンディションによって違ったアウトプットを出してくる…
猫友さんちの猫さんの訃報があると、こちらも少なからず動揺してしまうのですが、こうした時に「わたしのげぼく」を手に取って読むようにしています。その猫ちゃんが「泣くな」と言ってるような気がして、落ち着くのです。
「わたしのげぼく」は私の本棚の一番いいところ、すぐに手が届くところに置いてあります。
猫飼いならば、一家に一冊。本棚のどこかにあるのであれば、ぜひご再読を。
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