兄妹猫との別れ
2020年の1月10日、我が家の兄妹猫が揃って虹の橋に旅立ちました。今日はあの日からちょうど一年。一周忌にあたります。
2020年のお正月には、コロナなんて中国ではやっている原因不明の風土病のような肺炎だと思っていましたし、こんなに早く茶トラーズが逝くとは思っていませんでした。
今もあの日のことは、よく覚えているような、どこか遠くで起こった出来事のような不思議な記憶になっています。
夜になって通院していて、輸液を終えた診察台の上で長女猫の容態が急変、そのまま処置室に運ばれて蘇生を試みましたが、残念ながら意識が戻ることなく旅立ちました。
その後、病院から連れ帰った長男猫が帰宅後に容態が急変、病院に駆け戻りましたが、到着した時には事切れていました。
生まれた時からずっと一緒だった兄妹、まさか旅立ちも同じ日になるとは飼い主としても想定の範囲外で、呆然としました。
思い描いていた別れ方と違う
腎不全で闘病もしていましたし、少し前から後ろ足が弱って立てなくなっていた兄妹猫、それなりに心の準備もしていたつもりでした。
自分の中では、猫たちとお別れするのは、薄れゆく意識の猫に呼びかけながら穏やかに見送ってあげるという、いわゆる「大往生」のイメージだったのですが、これがまた全然違いました…
最初に長女猫が病院の診察台の上で容態が急変。ついさっきまで「輸液イヤー、さっさと終わらせてー」という態度だったのが、診察台の上で急に嘔吐した直後に気絶して眼を見開いたまま意識不明に。それまで世間話してた先生やスタッフさんも顔色が変わって処置室で蘇生作業をするも、結局、意識が戻ることなく逝ってしまいました。
長女猫に死後処置をしてもらって、兄弟猫と帰宅。長男猫にキャリーバッグから寝床に移ってもらったところ、急に唸り始めました。呼びかけにも応えることもなく、苦しんでいる顔をみると瞳孔が開ききっていたため、再び動物病院に担ぎ込んだのですが、そのときには既に事切れていました。
1時間足らずの間に兄妹で揃って逝くとは仲良しにも程があると思いませんか?
長男猫は、病院に行く寸前までは珍しく自力で立ってカリカリを食べていたのです。ここ数日のなかではむしろ体調は良かったはず…
亡くなるほんの数時間前までゴハンを食べていた長男猫。
抱っこした時に、首も手足もだらんと垂れた時は、あまりにリアルな死の実感に眼から涙が噴きだしました。
どちらも苦しむ時間はほとんど無かったと思うのですが、大往生とは程遠い別れでした。どちらからも「今までありがとにゃ」などという言葉はかけてもらえずでした。
ただ、歩けなくなってからは兄妹猫にとっても不本意な日々だったはず。クスリは飲まされるは、強制給餌で無理やり食べ物を押し込まれるわ、毎日のように病院に連れていかれて注射されるわ…虹の橋に渡ると、元気なころの身体に戻ると言います。びっくりするくらい身体が軽くなっただろうな。
何もかもが物足りない
病気の毛皮を脱ぎ捨てた兄妹猫とは違って、私の方はというと猫たちが居なくなってがらーんとした家の中で途方にくれるばかり。兄妹猫は存在するだけでもありがたかったのですね。
クスリの投与もない、強制給餌も要らない、ペットシーツの交換もない。
やることもなくて、変な話ですがホッとしたような気がしないでもなかったのですが、何もやる気が起きなくてボーッとしていました、あの日の夜は。私にとっては初めての猫。お別れも初めてでした。
次男猫は事態が分かっていたのか、ちょっと手持ち無沙汰にしていました。その後の数日間は妙に甘えん坊になっていたので、ひたすら撫でていた記憶があります。
誰かに分かってもらいましょう
いつかはやってくる愛猫との別れ。
私の場合も、やはり本当にツラい瞬間でした。
ただ、私の場合、猫を通じて知り合ったたくさんの猫友さんが居ました。数多くの人たちが私の猫を愛してくれていましたし、逝ったことを惜しんでくれました。そのことがどれほど私の心の隙間を埋めてくれたことか。
猫を看取ったことのある人は、猫を失った人の気持ちを分かってくれます。
一年経った今も、こうしてブログを書いていると当時のことをよく思い出します。逝ってしまった猫は帰ってくることはありませんし、今も心の隙間が埋まりきることはありませんが、彼らを思い出してこうやって書くことは供養になっているのかなと思います。
猫ちゃんと一緒に暮らしている皆さん、日々の普通のことを、今日も明日も大切に過ごしていきましょう!
コメント
たけさん、こんばんは。
ななこです。
今日が一周忌なんですね。
読んで泣いてしまいました。
お辛かったでしょうね。
私が同じ立場ならば、
いっぺんに2匹とも同じ日に失うなんて、
しばらく立ち直れないかも。。。
それにしても、腎不全の猫って末期になると後ろ足が立てなくなるんですね。
うちの猫だけがそうかと思ってました。
亡くなった猫が昨年11月からそうでした。
目は見えないわ、歩けないわで、何をするにも大変でした。
それでも頑張ってトイレまで歩いて行ってました(失敗は多々)。
あと、日向ぼっこが好きでしたので、
晴れた日は光を感じて、いつもの場所まで自力で移動していたものです。
お互い思い出を大切に、今を生きていきましょう(*^^*)
辛い時に偶然たけさんのブログを見つけて、本当に良かったです。
救われました。
では又ブログを楽しみにしてます。
ななこさん、こんにちは。たけです。
2人が相次いで逝ってしまった時は、なんかちょっと感覚が麻痺してしまいました。
痛いというか重いというか苦しいというか…そんな感じでしたね。
ななこさんとこも後ろ足が弱ったんですか…やっぱり足腰が立たないのは良くないサインなんですね。
光を求めて自力でなんとか移動する姿、目に浮かびます。
ウチも長女猫が私の布団まで脚を引きずりながら毎夜やってきたことが懐かしいです。
毎晩、布団でオシッコしてくれてましたけど(笑)。
お読みいただいて、少しでもなんか共感していただけたり、ご参考になることがあれば嬉しいです。
引き続き、どうぞよろしくお願いします。
たけ