猫友さんとこの猫さんは幸せ
ちょっと前に「勝ち組」「負け組」という言葉がよく使われていたような気がしますが、個人的にはあまり好きな言葉ではありません。人生には波がありますし、いい時もあればそうでない時もあります。「あいつは負け組だ」などと誰かを揶揄していた人が後になって負けていくというケースも結構ありました。
出世コースに乗ってバリバリやっていた人が若くして亡くなってしまったり、健康を害して長期入院してももとの状態に戻らなかった人もいます。「勝ち組」とされていた人が足元を掬われて転落していった人も数知れず。
なんでしょうね、こうした言葉に優越感だったり妬みや僻みというニュアンスを感じるからでしょうか、こうした言葉を多用する人とはあまり仲良くなれないのです。
ただ、私の猫友さんがお世話している猫さんたちはみんな「勝ち組」だと常々思っています。そこには優越感とか僻みとかいうのは一切ありません。正味の話、みんな幸せだなと思ってます。
私のはるか上を行く猫バカさんたち
個人的には、自分は結構な猫バカな方だと思っていますが、周囲を見るとはるかに上をいく猫バカさん(失礼!)ばかり。
めいっぱい可愛がって、体調を崩せばめいっぱい看病して、歳をとればめいっぱい介護をして、看取ればめいっぱい悲しんで悼んで…
「猫さんの幸せが自分の幸せ」というニオイがぷんぷんする人がお世話する猫さんは、誰がなんと言おうと「勝ち組」でしょうね…そして、そういう飼い主さんが周りにたくさんいる私は結構な幸せ者だと思っています。
ただ、世の中には、歳をとったからとか、病気になったから、飼えなくなったというにんげんの一方的な理由で遺棄されたり放り出されるワンコや猫さんがいるのも事実。
赤ちゃんにアレルギーが出たという場合は如何ともし難いですが(もちろん、次の飼い主は探してほしい)、飼い主が亡くなった場合も自分の身に何かあった時のことは想像は出来るはず。
個人的には「親ガチャ」という言葉もあまり好きではありません、というのも現代日本社会は「格差社会」とか言われていますが、むしろ資本主義国家で日本ほど格差が少ない国は珍しいと思っています。「毒親」と言われる人種がいるのは分かりますが、それでもその後の頑張りで何とかなるケースも多いと思っています。ただ、ワンコや猫さんは「飼い主を選べない」ので、「飼い主ガチャ」はあるかと。
運が良ければ、棄てた飼い主よりももっと良い飼い主さんに巡り会う可能性もあるのですが、いかんせん猫さんの力だけでは難しい…そういう意味で保護猫活動をされている方々には頭が下がります。
私の周りの猫さんはいい飼い主さんに恵まれた「勝ち組」ばかり。もしも私が生まれ変われるとしたら、猫友さん宅の猫さんに生まれ変わりたいと常々思っておりますよ。
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