推し猫さんの旅立ち
何度、経験しても慣れないのが猫友さんとこの愛猫の旅立ち。
猫友さんが出来たり、ネット等で推しの猫さんが出来て、時間が経過するとどうしても避けられないものがそうした推し猫さんの旅立ち。
先日、先代三兄妹と同じ年生まれの同じ誕生日の猫さんが虹の橋へと旅立ちました。
大柄なキジトラの男の子で、毛柄は違えど、なんとなく陽性な雰囲気や声が大きいところなど長男猫に似ていたところもあって、旧Twitterのまだ元気な頃からずっと追いかけていました。
↑これはウチの長男猫ですが、猫くんはもっと大きかったそうです…
長男猫は17歳と8か月で旅立ちましたが、その猫くんはなんと22歳と約半年というご長寿さん!パソコンから聞こえるその猫さんの「なあーん!」という特徴的な声に、姫ちゃんはいつもキョロキョロして声の主を探していました。我が家は私も姫ちゃんもその猫くんは推し猫でした。
ある日の朝、ぐっと感情を抑えた「毛皮を着替えに向かいます」というご報告に、文字通り「鉛を呑み込んだ」ような気分になりました。飼い主さんの献身的な介護、それに応えるような猫さんの頑張りを見ていましたから…残念でした…
虹の橋のたもとは大混雑?
猫さんは虹の橋へと旅立ちますが、虹の橋を渡るのは飼い主さんがやってきてから、だそうです。
なので、ウチの三兄妹だけでなく、あの猫さん、その猫さんなどの推し猫さんたちも、みんな虹の橋のたもとで飼い主が来るのを待っているようです。病気やケガもすっかり治って、一番元気だった時の姿に戻って飼い主がやってくるまでみんなと遊んで待っているのだとか。
ああ、叶うことならそこへ行ってみたい!
実際に会ったことのある猫さんもいれば、PCやスマホ、本でしか知らない猫さんも居るでしょうし、そこへ行って、三兄妹や知ってる猫さんと一緒にゴロゴロしてみたいし、出来るものなら話もしてみたい…
ただまあ、にんげんがそこに行く時は、この世とお別れする時でしょうから、いつかはそこへ行けると思うことにします。
今はまだ行けません。この世に姫ちゃんを残しては行けない…
悼み方はひとそれぞれ
私自身はこれまで三兄妹を看取りましたが、想像していたよりも悲しくて、喪失感というか虚無感が凄かったです。ただ、そういう経験をしてからの方が愛猫を看取った方のお気持ちがそれなりに分かるようになったと思います。ただまあ、こうした感情は時とともに薄らぐものの、無くなりはしないのですね…
次男猫の時は闘病日記やら看取り日記としてブログに駄文を書き散らかしていましたが、私の場合はそうすることで精神の均衡を保っていたと思います。
頑張っても頑張っても体重は下げ止まらず、検査結果は悪化の一途、日に日に痩せていく愛猫の姿はツライし、頻発するトイレエラーや嘔吐、嵐のようにやってくる痙攣発作…いつ終わるかは分からないけれども終わって欲しくないという矛盾した想いで、精神的にはキツイものがありました。
そんな時も書くことで気持ちの均衡を保てていたと思います。
私は日記を書く習慣はありませんが、ブログは他人が読むことを前提として書きますので、暴走しそうな気持ちを補正しながら書いたことも多々ありました。こうしたことが良かったのかと。
なので、看取りでツライとき、看取った後の寂しい気持ちとかを友人に話を聞いてもらったり、Xでポストしたりするのはご自身のお気持ちを整理するという点で有効ではないかと思います。
私の場合は、多くの方に反応をもらったり、声をかけてもらったりしたことがどれだけ救いになったことか…本当にありがたかったです。
(なので、こうした時にネガティブな言葉を投げつけるような人、その人が猫飼いだったらなおさらそうした発言の意図が理解できません)
「言霊」はあると思います
私は仕事でも色んな文書を書きます。日常的にSNSもやりますし、こうしてブログを書いたりもしています。
そうしていると、やっぱり「言霊」というのはあるんじゃないかと思います。
書いているうちに、その言葉が発する霊力みたいなものが発揮されることがあると思っています。なので、ネガティブなことではなく、ポジティブに、面白おかしく書くことも結構重要なのだと考えています。次男猫の調子が悪くてブログで泣き言を書いたら翌日は妙に元気になってた、というのもちょいちょいありました。あれは不思議だったなあ…
愛猫の看病介護って、猫さんとの距離は凄く近くなって愛しいものですが、いろんなことで飼い主側にもダメージがあります…
そんな時でも、ポジティブな言葉でブログを書いたり、4コマ漫画にしたり、SNSに投稿したりすることは、プラスの霊力が生まれるような気がしてなりません。次男猫を撫でたりブラッシングしてた時、よく「次男猫を讃える歌」を歌ってましたが、あれ、にんげんと猫、どちらにも効果があったと思うんですよね!空元気も大事。
「嘘笑いで口角を上げるだけで免疫力があがる」っていうじゃないですか…あれですよ、あれ。
ただ、ツラい時はツライ、と発することも大事ですよ。これもホント。
コメント
失った存在が大きければ大きいほど悲しみや後悔も大きいのでしょう。
ですが、ならばこそ逆に幸せや喜びも相応に感じることが出来るのだとも言えます。
あの方の呟きに猫が調子を落とした時、「猫のために働いているので猫のために休むんだ」との一説があります。
その思想や行動を貫徹されたことが猫を幸せに長生きさせたのだと思います。
本当に頭が下がる思いです。
今はただただ少し離れた所から見守っていたいです。
猫乃三時さん、こんにちは。
三兄妹と同期生ですからね、本当に大事にされて長生きして…
あのお二人を見ていていいなと思っていて、
ここんところはずっと凄いなーと思っていました。
私は殿の4コマ漫画も楽しく拝見していましたよ!
なんかああいうキャラにしか見えなくなってしまいましたけど…(笑)
殿の場合、腎不全、老い、痴呆、あちこちで粗相、寝たきり、外歯瘻、床擦れ…
次々にやってくる現実に正面から向かい合うなんて私には到底無理でした。
そんな時、現状を4コマにして面白おかしく表現することによって楽しくお世話が出来ました。またそれを見た方に「晩年のお世話は楽しいんだ、怖くないんだ」と感じてもらえればとの高慢な思いもありました。
ま、殿からすれば迷惑だったでしょうがw
たけさんが仰有るように言葉は力を持って現状を善くも悪くもするものだと思います。出来ることなら自他ともに力を貰える言葉を発していきたいモンです。
猫乃三時さん
足腰が立たなくなるとは、寝たきりになるとは…
と茶トラ兄妹で初めて経験し、ビックリしました。
次男猫はその経験が活かせましたが、
いつかは自分も…と思いながらのお世話でした。
闘病中の推し猫さんと飼い主さんも色々あるだろうなと思いつつ、
伴走する気持ちで応援しています。それしか出来ないんですけど…
殿はああいうキャラでいいんじゃないですかねw
きっと虹の橋のたもとで「イメージ違う…」と言われてそうです。
私はたけさんのブログに励まされながら、看取りの覚悟を学んで前の子を虹の橋に送り、姫ちゃんとの暮らしに背中を押されて、今の子との生活を始めることができました。
リアルで会ったことのない方のブログにコメントするようになったのも初めてです。
たけさんのブログには、やさしい言霊があります。
虹の橋では、愛猫たちと、子供の頃に一緒に暮らしたワンコたちも一緒に遊んで待っていてくれたらいいなと思います。
会いたいけれど、私も今の子をしっかりお世話しないといけないので、まだもう少し先ですね。
「お世話しないといけない」と思っているのは人間だけで、実際は猫の方が私の面倒を見てくれているような気もします・・・
うちの子は姫ちゃんより少し年上のお姉さんなので、世話焼きのルームメイトという感じです。
遊びにも、「人間を運動させてあげないと!」という心遣いで付き合ってくれています(笑)
アールさん、こんにちは。
なんとも過分なお褒めをいただき恐縮です…
自分は猫さんと暮らすようになって変わりましたし、
病猫・老猫の看病や介護で歳をとるとは…ということを教わりました。
猫さんを看取るたびに変な話ですが成長したと思います。
無猫生活で気づいたこともありますし、
姫ちゃんを迎えてやっぱり猫さんとの暮らしは良いと改めて思いました。
(姫ちゃんは甘やかしてるせいか、ワガママ度がどんどん上がってます…)
そんなことをつらつらと書いていますが、褒められるとやっぱり嬉しいです(笑)。
ありがとうございます。これからも頑張ります!