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【猫】猫の存在感は喪ってから気付く

1 猫
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「猫の存在感」は想像以上に濃ゆい

姫ちゃんが我が家に来てまもなく1年になろうとしています。

昨年の7月に次男猫を看取り、その後は無猫生活を送っていましたが、去年の今頃は日々のあまりの味気無さに、去年の今頃は保護猫カフェに足を運んで猫成分をチャージしたり、里親探しサイトを眺めたりしていました。

猫さんを看取った経験のある方にはお分かりいただけると思うのですが、猫さんは鳴かなくても姿が見えなくても家の中に存在感をもたらしてくれるものです。長い介護生活である程度は心の準備が出来ていたとしても、いざ居なくなってしまうと家の中ががらーんと感じられてしまいます。去年の今頃は、「昔は三兄妹が居たのになあ」と昔のことばかり思い出していたような気がします。

膝上で完全脱力して寝る在りし日の長女猫

昔は、三兄妹の猫が居て当たり前、三兄妹が猫団子で寝ていて当たり前、テレビを観ていれば誰かが膝上に居るのが当たり前…今の家には引っ越してきたときから三兄妹が居ましたので、「家の中に猫が居ない違和感」が強かったです。

無意識の猫中心生活

家に帰ったらどこに猫が居るのか目で探し、出かける時は所在を確認してから。ドアを開ける時は足元に猫が居ないか、トイレは使っていないかをいつも気にかけて、介護期になると通院間隔や、クスリやサプリ、輸液の時間をいつも気にしていました。

次男猫が居なくなってからも、帰宅すれば猫を探している自分に気づき、時計を見て「クスリの時間!」と思って席を立つもその必要がないことを思い出し、次男猫が居ないという現実をその都度思い知らされたものでした。

こんな日々を過ごしていると、いかに猫バカが猫中心の生活をしていたかということに気づきます。窓やドアを開け締めするのも、無意識に猫がそばに居ないかを気にしていました。食卓の焼き魚や、冷奴にかける鰹節とかも。(長男猫はちょいちょい冷奴の鰹節を舐めとってたし、次男猫にはゴハンのお代わりに席をたった十秒くらいの間に残しておいた焼き鮭の皮をばくばく食べられました!)

食い意地がはっていた長男猫…

無猫生活とはわかっていても、目で猫を探す習慣は本当に抜けないものです。それどころか、「あれ、いつもの場所に居ない」と分かると探知モードで探そうとするところが恐ろしい…そして、「ああ、もう探す対象の猫は居ないんだ」と認識するたびにダメージとなって蓄積するのです。

これは長女猫と長男猫が居なくなって次男猫のみに減ったときもありましたが、残った次男猫も逝って無猫になってからのほうが落ち込みは大きかったです。猫さんの気配が減るのも寂しいのですが、無くなるのは段違いに寂しいのです。

保護猫のお迎えもご検討を

愛猫を看取るということは、それはもう飼い主さんの人生の歴史においてそれだけで1ページどころか1章ぶんくらいのイベントになります。スパッと切れた傷は、たとえその時は予想していた以上の痛みを感じなくても、なかなか塞がらない厄介な傷になります。あとでじわじわ痛んできますし、下手すれば化膿することもあります。これには「時間薬」しか治らせないのですが、猫以外に楽しいことが思いつかない猫バカにとっての何よりの薬はやっぱり「猫」

「あの子が最後の猫」というお気持ちも分かります。ただ、本当に猫思いの猫好きさんが無猫の生活を寂しく送るのは勿体ないと思うのです。

世の中、お家が必要な猫ちゃんがたくさん居ます

仔猫は貰われる可能性は高いのですが、大人の成猫さんはなかなか難しいのが実情です。「新たな猫を迎える気持ちにならない」かもしれませんが、一度、里親探しのサイトを覗いてみてはいかがでしょうか。

Twitterのフォロワーさん宅でお迎えしたシニア猫さんが、最初はつんつんしていたのに、甘えん坊になっていく姿を見て、ああやっぱり猫さんには安心して暮らせるお家が必要なんだと改めて思い知らされました。

家のない猫さんを救うつもりでお迎えをご検討を。きっとそんな猫さんに救われる日がくることでしょう。

保護主さんに保護された当時の姫ちゃん。別猫ですねえ…

 

 

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