深夜から麻痺が継続
次男猫は、足腰が立たなくなってから、横になりながら自転車を漕ぐような動きをすることがありました。
最初は、「動けなくなった身体だけど、夢の中では走り回ってるのかな」と微笑ましく見ていたのですが、どうやら脳のどこかの影響で、意図せず足がちょいちょいと動いていたようです。
右腕も招き猫のようにちょいちょいする仕草をします。こちらもおそらく脳のどこかの影響によるものでしょう。
昨夜は夜中になってから枕元で延々と自転車漕ぎをするようになりました。
抱っこしたり、お腹の上に乗せるとしなくなります。撫でても治まりますが、しばらくすると再び無意識に手足が動いてしまうようです。
痙攣発作が再出
今朝はゴハンも全く食べようとせず、シリンジで水と少しの流動食を与えました。飲み込む力が弱まっているようで、いつもの3倍くらいの時間をかけて、少量を少しずつ。
しかし、今朝の10時に激しめの痙攣発作が起きました。
先日の経験があるので、転落リスクのあるソファから床の広いところに用意していたベッドに移しました。
発作の状況を撮影すべくスマホを向けていたのですが、気が動転していたためか、録画の開始ボタンを押しておらず、激しい発作の状況を記録できていませんでした。
したり顔でエラそうにブログなんて書いていても、発作が起きればこんなものです。
眼振を伴う激しい発作は5分弱で治まり、しばらくは激しく呼吸をしていましたが、その後は落ち着きました。
1時間経った頃には、震えたり、思い出したように自転車漕ぎをしますが、静かに横になっています。あまりにも静かだと呼吸をしているかが心配になります。
首を支える力がないため、ふかふかな敷物だと鼻口を塞いでしまうリスクがあるので、顔の下にはコルクマットを敷いています。これで呼吸が塞がれることはないはず。
あとは足先がちょっと冷たいため、猫用ホットカーペットを下に敷いて、安静にしてもらっています。
とりあえず、今回は私自身は動画撮影をミスるというエラーはしましたが、パニックにならず、観察と見守りは出来たように思います。。。
生命を考えさせられる
自力で立てない、ゴハンも食べられない、水も飲めないとなると、自然環境ではとっくに淘汰されている状態です。町中の野良猫であっても1日として生きては居られないでしょう。
輸液をして水分を補給し、高エネルギー食を口に入れて、オシッコは垂れ流し、排便も介護が必要…この状態で生命維持をするのは飼い主のエゴじゃないかと言われるかもしれません。
しかし、痙攣発作をしている時以外は、意識はしっかりしているようです。昨夜もトロよりも赤身を選んで食べていました。私が動くと、あまりよく見えていないであろう眼で追いかけてきます。昨夜は補助付きとはいえ、しっかりウンチもしたのです。
生きる気力というのは日に日に衰えてきている感はありますが、急に歩けなくなったのなら、急に歩けるようになるかもしれない…と微かな期待を抱かざるを得ません。
なんとなく、その確率は低いというのも分かっていますが。
感情では割り切れない…!
はるか昔の学生時代、非常に親しかった友人が、交通事故で脳死になりました。
それまでの私は、「脳死になったら回復しないんだから死亡とみなしても良いのでは」と思っていましたが、ゲンキンなもので、身近な人がそうなったら、「奇跡が起こるかも」と思ってしまうのです。
その後の私は、「脳死」や「臓器移植」を社会学的な側面で研究し、卒論にもしました。その勉強を通じて、脳死判定とは、症状が不可逆的であるということもわかりましたし、「脳死は死である」とするのが、社会的には社会保障的的および医療的リソースの面でも理にかなっているというのが当時の私の結論の一つです。
しかしながら、人間の感情というものは、簡単には割り切れません。家族に対してはなおさらです。
脳死になっても心臓が止まるまで生命維持を望む方も多いと思います。特に子どもに対する親御さんの希望としてはそうなることが多いんじゃないかと思います。自分は当時の勉強を通じて、それを責める気は全くなくなりました。
私にとっては息子になる次男猫、今も軽く震えていて、時々は手足をばたつかせています。苦しそうなそぶり、痛そうなそぶりが無いのが救いではあるのですが、恐らくは回復は難しいとも思います。
出来る限りお世話をさせてもらっていいかな…今は目の前で横たわる猫を撫でながら、どうしてあげたものかと考え中です。
我が家でもっともカッコいい男。2018年9月の写真です。
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