20回を超えた月命日
2020年1月10日に虹の橋に旅立った我が家の長女猫と長男猫の茶トラーズ兄妹、明日の月命日はも20回を超えます…3回目の次男猫とは違い、さすがに「もうそんなに経ったのか…」という感じがします。彼らが旅立ってから、次男猫の看病や介護に看取り、その他色々なことがありました。昔の写真を見ると懐かしくてちょっと涙ぐんだりします。親ばかもいいとこなんですが、ウチの猫ズはホントに可愛いなあ!
看病・介護期のころのことばかり思い出しがちなのですが、昔の写真を見ると、元気でご機嫌だったころも色鮮やかに心の中に蘇ってきます。
シニア初期も超元気でした
何やら物思いにふけっているようなこちらの長男猫は8歳。年齢とともに少し筋力が衰えていて、巨体で本棚に飛び上がったりするのがツラくなっていた時期ですが、よく介助して本棚の上に乗せてやってたっけ。本棚の上で長女猫が寝ていることが多く、どうやらそこへ行きたかったみたいです。二人でよく頬を寄せ合って寝ていました。
尻尾をぶんぶんさせてなんか言っているこの得意げな長女猫の写真も、9歳ごろ。シニアの壁は超えていますが、まだまだ若々しいです。
この頃の毎日のお世話は、朝晩にトイレ掃除して、ゴハンは常に完食だったので決まった時間にゴハンをあげて、夜になったら水場の水を交換して…さえやっていれば、ホントに手間いらずでした。薬も、サプリも、もちろん輸液も無かった時代。
三兄妹の末期ケアを続けて経験したせいか、この頃の猫たちの手間のかからなさは何だったのかと。体調を崩すなんてことなんて滅多に無かったし、何年も病院に行かなかった時期もあったと思います。今はこうして意識して思い出さないといけませんが、15歳を超えて慢性腎臓病が重くなる前はそれだけ元気で健康だったんですね…
若い頃に病院に行かなかったぶん、老猫になってからは物凄く通うことになりましたが。
ノーテンキ男とツンデレ娘
猫種でよく言われる、人懐こくて甘えん坊な茶トラのオス、自立心旺盛で気が強いが実は愛情深い(嫉妬深い)茶トラのメス、そのままだった我が家の茶トラーズ兄妹。
長男猫が「おーい、遊んでくれー」とねだり、それに応えて可愛がっていると、次男猫が「次はボクです」と言わんばかりに少々控えめに視界に入るところで臍天になって待機、どちらもナデナデもふもふしていると、寝ていた長女猫が気づいて長い尻尾をぶんぶんと振りながら慌ててやってきて、兄猫と私の間に割り込んで「あたいを一番構いなさいよ」とねだる日々。
仕事で疲れている日などは、少々メンドクサイなどと思っていた当時の私を叱りつけたいです。それはね、何物にも替えがたい仲の良い兄妹猫+多頭飼いの醍醐味なんだぞ…彼らが亡くなった今、何をどうしてもその時間を再び過ごすことが出来ないと思うと、ホントに寂しいものです。
SNSやその他のWebサービスが、「○年前を振り返ってみましょう」みたいに画像を出してきてくれるのですが、その殆どが猫たちの元気な頃の写真だったりします。再び会えた嬉しさ以上になんともやりきれない寂寥感が襲ってくるのですが、ほとほと自分の過去十数年は猫たちが全てだったのだなと思ったりします。
これからの季節、膝上をどうしたらいいのか…
感謝、感謝なのです
茶トラ兄妹の腎不全が進行し、末期になると自力で立てなくなってしまいましたが、最後の最後まで意識はしっかりしていていて、弱っていても、しんどそうでも、声をかけるとそれぞれの声で返事をしてくれましたし、二人で寄り添って団子になりながら私の帰宅を待ってくれていました。調子が良いと自力でトイレに行こうとしたり、カリカリを食べたりもしました。最後の夜まで、長女猫は私の寝床にやってきて一緒に寝てくれました。それだけに彼らとのお別れは唐突でした。
彼らが同じ日に旅立って、もう1年半以上経ちますが、未だに喪失感はあります。それでもまだ次男猫が居てくれていた間は、心の隙間も多少はふさがっていたのですけれど。しかも、次男猫が居る間は、ちょいちょい帰ってきていた気配があったのですが、虹の橋のたもとで三兄妹が揃ったせいか、あまり帰ってこなくなったように感じます…
彼らとしては、生ききって満足してくれたということなのかなあ。この世に未練たらたらでしょっちゅう帰ってこられてもそれはそれで心配になるので、これで良いのかもしれませんが、時々、無性に会いたくなります。
たくさんの幸せな時間、たくさんの学びをくれて、たくさんの出会いを作ってくれた茶トラ兄妹には、飼い主としても本当に感謝しています。
ちゅ~るはお供えしてあるから、たんとお食べ。
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