猫と暮らす時間
猫と暮らした時間は、喪ってから振り返ると驚くほど短く感じます。先代の三兄妹は、乳飲み子の幼猫だった頃に保護してから15年以上一緒に暮らしました(最長の次男猫は19年以上)が、いま思い起こしてみてもあっという間だったように感じます。

三兄妹を看取って、今は姫ちゃんと暮らしていますが、私にとって初めての猫だった三兄妹とは違った距離感があります。三兄妹を看取った経験が影響しているんだろうと思うのですが。
大変申し訳無いのですが、猫を看取った経験のない方は、頭では分かっていても想像と実際は違うのです…
時間の使い方が変わる
猫を看病や介護したり、また看取ってから変わったのは、猫との「時間」。
先代の三兄妹が元気だった頃は、私も若かったですし、猫たちをほったらかしにしている時間も長かったです。兄妹で仲良く留守番出来ていたということもあるでしょうが、なんとなく自分が居なくても猫たちは大丈夫という変な思い込みがあったように思います。「猫と過ごす毎日は当たり前」。そんな風に思っていました。

猫団子!当たり前の光景も当たり前じゃなかった…
しかし看病や介護をしていると、「昨日できていたことが今日はできない」、「昨日は食べていたのに今日は食べない」…1日1日が急に重みを持つようになりました。彼らの猫生においては、元気な期間の方が圧倒的に長いのですが、思い出すのは年をとってからの姿の方が圧倒的に多いのです。これは猫と相対する密度が変わったからなのかなと思っています。
猫たちの慢性腎臓病が悪くなってからは、いつでも動物病院に担ぎ込めるように家の外でも中でもお酒を飲むことが無くなりました。なんとなく、その後もお酒は飲まなくなったなあ…夜は早く帰るし休みの日もあまり出かけず猫と一緒の部屋にいる時間が本当に長くなりました。
「その猫らしさを失わない」
そして不思議なことに、先代の三兄妹は最後まで「その猫の猫らしさ」を失いませんでした。むしろ、歳をとってからの方が「その猫らしさ」がどんどん際立ってきました。

長男猫は弱っていても声をかけるとしんどいだろうに尻尾を立てて返事をしてくれたり、長女猫は動かない脚を引きずりながらも毎晩、布団に潜り込んできました。そして次男猫は最期の最期まで賢く生き抜きました。最後の夜は、我が家のお気に入りの場所を一つ一つ自分の足で歩いて行ってじっと考えるような仕草をしていました。
こうしたほんの小さな仕草や行動は、とても愛おしく感じられましたし、今も懐かしく思い出されます。先にも書いた通り、猫と相対する密度が変わったからかもしれませんが、むしろ元気だった頃よりも、一つ一つの行動が深く心に残っています。歳をとってからの方がむしろその猫の本性や個性が際立ってくるように思っています。
今、看病介護をしている飼い主さん、今のその時間をどうか大切にお過ごしください。きっと一生の財産になります。
猫との当たり前の時間なんて無い
今、猫と一緒に暮らしている方は、その何気ない一日一日を大切にしてほしいと思います。猫はきっと、今日もいつも通りの顔で、同じ場所に座っているだけかもしれません。でもその当たり前の光景こそが、後から振り返ると何よりも大切な時間だったと気づくことになります。

猫を看取るという経験は、決して楽なものではありません。私の場合、実の父が亡くなった時よりも猫を看取った時の方が辛かったです。そして喪ってからの辛さは猫の方が勝ります。だからこそ、今は姫ちゃんを迎えているのだろうと思います。ただ、姫ちゃんとの時間は、三兄妹の若い頃よりも密度は高いです。
たぶん、こうしたことは猫を看取ったことのあるかたは共感いただけるかと思います。私が猫を誰かに託したり譲ったりすることがある時は、看取りの経験がある方を選ぶかな…。


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