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【猫】家族記念日19周年

1 猫
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公園で見かけたあの日から

19年が経ちました。たぶん、2002年5月19日の日曜日だったと思います(18日だったかもしれないですが)。公園を歩いていると、幼猫特有のぴゃーぴゃー鳴く声が聞こえてきて…猫好きの性ですが、ついつい探してしまいました。

必死に鳴く声は茂みの下の方から…そこにはビニール袋に包まれた給食で使うようなでかいヤカンが置いてあり、その中から聞こえてきました。

ビニール袋を解いてヤカンの中を覗き込むと、オシッコくさい小さな塊がもごもご動いてていました。茶色いの(長男猫)が小さい身体に似合わぬどでかい声で鳴いており…黒っぽいの(次男猫)も応援するように小さな声で鳴き、もう一つ小さい茶色いの(長女猫)は不機嫌そうに鳴いていました。子猫ならなんとかなるかと思いましたが、抱き上げてみるとホントに小さいまさかの幼猫

昔の写真はピンぼけなばかりのが悲しい…

幼猫を育てるのは、初めての猫としてはハードルが高かったのですが、捨てられる前にきっちりカーチャン猫の母乳をもらっていたのでしょう。最初の数ヶ月は病院通いをしましたが、順調すぎる程に育ってくれました!

保護してからの私

ペット不可の借上げ社宅では多頭飼いの猫と暮らすのは困難だと判断し、今のマンションを買いました。あれ以来、仕事も結構変わったし、私を取り巻く環境は大きく変わりましたが、猫との暮らしは変わりませんでした

200g〜300gだった猫たちは、最盛期には4.5キロ〜7.5キロになり、あの幼猫の儚い感じはあっという間に失せ、我が家の主たちとして君臨すること15年以上。我が家は猫のための猫屋敷と言って良いかもしれません。

そこに乗っては駄目だと何度言ったら…どえんどえんたち!

しかし、兄妹での多頭飼いだったせいか、手がかからないコたちでした。トイレ掃除とかはシングル飼いの3倍になりますが、留守番をさせていても、兄妹でいるせいか不安を感じることも少なかったと思います。若いころは、ゴハンの支度さえしておけば帰宅が遅い時間になっても割と平気でした。帰ってきたら、口々に「待ってた!待ってた!」とニャーニャー言うのですが、ほんのさっきまで猫団子で寝ていたことを知ってるぞ…

歳をとってからは病気がちに

しかし、長生きしていると、やはり臓器にガタがくるのと確率的にもガンなども増えてきます。三兄妹ともに腎臓が悪くなり始め、そんな時に長女猫が線維肉腫を患うことに。結果的に、大手術をして放射線治療をした結果、再発も転移も無く余命を全うしました。

それまで兄妹ともに大きな病気をしてこなかったので、この時の飼い主は非常に動揺しましたが、手術後も「普段通りに暮らしたい!」という強い意思を感じることが多々あり、迷いも疑いも愚痴もなく生き抜く姿に心を打たれたのでした。長女猫はメンタル的には兄たちに比べて断然にタフでした!

18周年を前に、茶トラ兄妹は逝った

初めての猫なので、猫を見送るのも初めてでしたが、あれはキツい体験でした。メンタル的には強くなかった長男猫はもちろん、タフだった長女猫も晩年はシンドそうな姿を見せることもありました。ただ、愚痴は言わなかったな…。どちらも最期まで彼ららしい生き様を見せてくれました。

ただ、飼い主側はなんとなく、猫たちはずっとそばに居るもんだと思ってた部分もあって、「ああ、生き物は死んじゃうと居なくなるんだ」という至極当たり前のことに気付かされたものです。親類や知人の死は経験していても…全くレベルの違う喪失感でした。

誰しも慣れることが無いようですが、我が家の場合、少なくとももう一度は起きることなので…。そう遠くないと思うと、今から思いやられます。

向き合い方が変わった

しかし、茶トラ兄妹の晩年、介護を目一杯やったつもりでしたが、後悔もあればやり残しもありました。その後悔や経験が、その後、体調を崩しがちになった次男猫に役に立っています。

twitterで、とあるフォロワーさんが「フルスイングな飼い主」とおっしゃったフレーズが個人的にツボに入っています。どうも私のまわりは愛猫に対しては全力を尽くすフルスイングな飼い主さんが多いので、勉強になっていますし、病猫を支える飼い主として、頑張る気力ももらっている気がします。

この先も、次男猫には余生を気分良く過ごしてもらいたいものです。出来るなら、ぜひ来年も家族記念日を迎えたいね。

 

 

 

 

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