三越が開店を宣言した日
この日は、1904年12月21日の開業を取引先や顧客に対して三越が「デパートメントストア宣言」をした日として、日本初のデパートが生まれたとされる日です。
https://www.imhds.co.jp/ja/business/history/history.html
当時の商店は、金物屋は金物のみの扱い、呉服屋は反物のみという専門店が普通で、一つの店舗で色々なものを取り扱うという概念がなかったそうです。当時の欧米でもデパートというのは新しい業態にあって、「百貨店」という言葉が生まれる前に「デパートメントストア」を宣言したというこの取り組みは非常に先鋭的だったと言えるでしょう。
三井家の両替事業と並んで主力事業だった越後屋呉服店という呉服事業が、武家社会の崩壊による主要顧客の喪失と洋服化の時代の流れも相まって、超斜陽状態であったところからの逆転の大進撃の始まりというわけで…面白いものです。
越後屋…お主は凄いのぅ
「屋敷売り」という訪問セールス+「掛け売り」が主流だった当時の業界の常識に反して、この越後屋呉服店さんは、「店先売り」と「現金安売掛け値なし」の手法をとる今でいう「法人営業からリテールビジネスへの転換」で大繁盛したと言います。その後は日本中から繊維を買い付ける中央集権的なサプライチェーンを築いてSPA的企業になっていくというアグレッシブな経営を続けていましたが、200年も経つとやはり保守的になってしまうものなのか、時代の流れに乗り切れない…とここで、やはり老舗の底力か、ここから三越は次々と新しいことをやっていきます。
この越後屋呉服店のビジネスは、いろいろと勉強になりますので、ご興味のある方はこちら。
日本初が多かった三越
日本で初めてエスカレーターを導入したのは三越。
大正3年(1914)、4年の歳月をかけて完成した三越新館には、日本初のエスカレーターをはじめ、エレベーター、スプリンクラー、暖房換気など最新設備が施され、東京の新名所として話題をさらいました。「中央ホール」が誕生したのもこの時で、広さは214㎡、採光天井をとりいれていました。
店舗のなかに食堂をオープンし、いわゆるお子様ランチを初めて提供したのも三越。
そのほかにも、配達用に自動車を導入したり、屋上遊園地の開設したり、女性社員の採用したりと、当時としては考えられないような新しいことをどんどん導入する先鋭的な企業になっていきます。なんか夢がある話ですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%B6%8A
「越後屋、お主も悪よのう」のせいで、越後屋は悪者のように思われていますが、本当に凄いんです。あ、三越は三井と越後屋の掛け合わせによる当時の造語ですよ。
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